以下の文章は、私のサイドカーの師匠、そして人生の大先輩でも有ります、大阪、堺市(R6現在は故郷の徳島県鳴門市にお住まいです)にお住いの川上小太郎さんとの出会いについて書かせて頂いたものです。
これまで、何度かホームページを作っては削除して・・・・の繰り返しでしたが、でも、この記事だけは、少しずつ書き足しつつ保存をして参りました。
ちょっと内容的に重複した箇所が有るかと存じますが、お許しの程を。
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24.11.16
随分と年月が過ぎ去ってしまいました
以下、かなりマニアックな話ですので・・・ご容赦願います
もうすぐ70歳に手が届きそうになった私ですが、唯一の趣味がバイク(サイドカー、リバーストライク)でしたが・・・ついに2年前に卒業を。
川上さんとの出会いは(site内、どこかに記させて頂きましたが)・・・・昭和の終わり頃に始まります。
それ以来、本当に(お互いに)色々な出来事に遭遇を致しましたですね??・・・・でも、川上さんはもう80ウン歳になられますが、お元気そのもの。
一方のこの私・・・もう広島県外に出る事すら負担に感じるようになってしまいました。
色々なご縁が有りまして、この数か月の間、川上さんとまたご連絡をさせて頂くようになりまして、近日中に私が川上さんの(徳島県鳴門市の)お宅に訪問をさせて頂くことに。
川上さんですが・・・・正直、ちょっと偏屈オヤジさん!な所が有りまして。でもとってもpureなお心を持たれていまして。
バイクライダーの為には取り締まりの側に立つ警察に対して(不合理な取り締まりに関しては)猛然と対決の姿勢を!
時には、法廷闘争も辞されませんでした。・・・そう言う意味での偏屈オヤジさんです(*^-^*)
でも地元の堺市警察署や大阪府警主催の交通安全の催しでは長年、手弁当で参加なさっておられました。
もう時効でしょうから・・・川上さんがぶっ放した陸事との対決:
ハーレー社の純正サイドカーのインチキ(ブレーキ制動証明の不正)を見付けて、大阪市内のディーラーでの証拠写真を準備の中、大阪陸運局への告発。
まあ〜ご関心の無い方々には?な事でしょうが。
もしも表沙汰になれば、明白なハーレー社の不正行為とそれを見抜けなかった陸事の不手際でして。地元新聞ネタには成り得たモノですが・・・まま、そこは穏便に。
もう1つは・・・国産車bikeを本車にした正式なサイドカー車検を取得されていらっしゃる方々、元々は川上さんのお蔭だと言う事ご存じでしょうか?
昭和50年代の当時、サイドカーの本車はBMWとハーレー社のみ・・・という厳然な取り決めが有りまして国産車は門前払いという状況でした。
そんな石頭・陸事に風穴を開けたのが川上さんです!
ホンダコレクションホール・・・・このような立派な施設が有るのですね。
この中に展示されている、このサイドカー・・・・ご存じの方もいらっしゃる事かと存じますが、皇宮警察のGL1100サイドカーですね。
やはり本車が外車では????∞・・・とのことで、HONDA社GoldWing 1100(当時はHONDA USAオハイオ工場で製造)が当局からのご指名だったそうです。
ですが、先にも申しました通り国産車は門前払いの陸事の壁・・・・でも、正攻法での申請にはNo・・・・と言う訳にはいかず(すんなり)OK。
その際に、川上さんは皇宮警察からのオーダー車両台数に+α・・・・1台余分にサイドカー車検を申請されていたのでした。(*^-^*)
1台OK・・・となれば、あとは怒涛の如く!国産車でのサイドカー車検もOKとなったのでした。
11.11.03
たつの市民祭りにて・・・・・
大阪の皆さんとご一緒に、兵庫県たつの市にいらした川上さんです。
愛車は川上さんご自慢のハーレーですが、現在は純正サイドカーは取扱いが中止状態となっています。
ですが、川上さんは特別な方法を駆使されて、新規の登録を完了されました。
舟ですが純正サイドカーのモノを、何と!横・二人乗り用にモディファイなさっています。
ウィンドスクリーンやシートは、勿論、作り変えられています。
その他の部位にも、川上さんの工夫が随所に込められています!
今回、川上氏の作業場には、このサイドカーが置かれておりました。
解説は敢えて最小限で・・・・・ カーのみに関してですが、お解り頂けるでしょうか?
先ずは”普通”らしい姿を・・・ (本車とのコンビネーションにつきましては、川上氏に直接にお問い合わせ下さいませ)
ちょこっと、変化が・・・・
更に・・・・
近接像ですが、こんな感じです・・・・
元々は左右対称だったそうですが・・・・
本車のサイドバックを巧みに回避されています!・・・
川上氏オリジナルなセッティングが施されております。
カーの居住性は、大幅にupされているそうです・・・・・
今年の春に川上氏宅に参りましてから、ご無沙汰を致しておりましたが、今回はじっくりとお話を伺うことが出来ました。
現在の川上氏の愛車はハーレーのサイドトライク(ハニガン社製では無くて、氏のオリジナル)ですが、ハーレーとのお付き合いは40数年という筋金入りだそうです。
ならば、サイドカーとの出会いは?・・・・と以前から疑問に感じていた事だったのですが。
20数年前、神戸のグリーンモータースさん(震災で廃業されたそうですね・・・)の店舗に展示されていたGL+EMLを、偶然に見つけられたことがGLを手掛けるチャンスとなったそうです。
当時のバイク誌に掲載された川上氏の記事をupさせて頂きます・・・・
私も、この記事は拝見した記憶がございます、あああ・・・懐かしいなあ。
その後、川上氏はGL用のアクセサリーパーツを手掛けられるようになり、最後には氏オリジナルのパーツを製作されるようになったのは皆様もご存知の通りかと・・・・・
義歯の材料と歯科技工士のテクニックをバイクパーツ製作にも応用される、氏独特のスタイルは正にオリジナル!
勿論、GL,サイドカーリストの方々の考え方はいろいろですので、川上氏流のスタイルに対しての是非は有って当然だと思いますが・・・・
その後、GLのサイドカーセッティングの方にも取り組まれるようになりましたが、基本的には”出来る限り沢山の方々に、サイドカーの面白さを手軽に味わって欲しい!”という氏のポリシーが根底に流れており、それに共感された”川上教”の信者の方々が全国にいらっしゃいます。
川上氏のお宅のサイドカーの作業場には(大型のパーツ類は、4Fの倉庫に入れられてますが)極わずかの工具しか置いて有りません。 無くても、今有るモノを最大限に応用されて、ちゃんと仕上げてしまわれるのでした!
以前のことですが、(二輪車の状態の)GLに、一体、どのようにしてサイドカーのフレームを固定する(GLのセンタースタンドは外さないといけません)のか? まさか、カヨワイ奥様がGLがひっくり返らぬように、必死で支えている訳では無いでしょう・・・・
正解は、お宅の天井裏の頑丈な鉄骨にベルトを引っ掛けて、そのベルトでGL本体を吊り上げた状態で、サイドカー側のフレームを固定されるそうです。 なるほど・・・・・!! ちなみにプロのお店では、どのようにされているのでしょうか?
後、改造車検に関するお話しも、いろいろ伺うことが出来ました。
具体的な資料も拝見させて頂きましたが、随所に川上氏のポリシーが光っておりました!
私がサイドカーを手軽に楽しめるのも、川上氏やT氏のご尽力のお陰なのだなあ・・・と、再度、認識を新たにした次第でした。
ご存知な方は”アア、あれね・・・”ですし、ご存知で無い方は”それ一体、何なん??・・・”となるのではないでしょうか?
側車隊・・・・ちょっと、怖げなおじ様方の集まり? 昔、愚連隊なんて言葉が流行りましたが、”隊”と付けば、そちら方面系を連想してしまうのは、私だけなのでしょうか?
本当は、大阪府内の交通安全のイベントに積極的に協力をされて来た川上氏が組織されたモノでして、氏のお考えに賛同されてパレード等のイベントに参加されて来られた方々がメンバーとなられています。
不肖・私めも、このステッカーを頂くことが叶いました。
サイドカーの後部に付けさせて頂いておりますが、数回”大阪府警の方ですか?”と質問されたことが有ります。 そんな時は”ああ、もっと気を付けて運転をしないといけないな!”と思うのでした・・・・
川上氏が、堺市の現在のところにお宅を建てられたのが20数年前だと伺っております。 その後、地元の堺東署を初め、府内の警察署で開催されます交通安全のイベントには沢山、沢山、参加して来られたそうです。
お宅の2階の作業場に飾られていたパネルの写真をupさせて頂く事に・・・・(ちょっとサイズが大きいのですが)
恐れながら、私もチョコッと写真の中に出させて頂いておりますが・・・・懐かしい思い出です。
各写真の中の川上氏の愛車・・・・どれもオリジナリティが溢れる素晴らしいモノばかりですね。
これはハニガンのサイドトライクでしょうか?・・・・
本車の方ですが、フロントはR’sになっているのでしょうかね、そして自作のワイパーが付いていますね。 そしてカーの方ですが、前の方にかろうじてハニガンらしい雰囲気が残っておりますが、後は風防、側面のボディー形状、シート等を変更さrていて、正に川上氏の独壇場!! ですが、ゆったりとして開放的な感じになっておりますね、凄いなあ・・・・
ところで・・・堺市市長さま、そして警察署長様(でしょうか、もしも間違っていたら、どうかお許し下さいませ)が横に乗っておられますが、ヘルメットは着用されておりません。
皆様は、これをどのように解釈されますでしょうか?
イベントなので、特別(=例外的な扱い)さ!・・・と思われた方が居られるのではないでしょうか? そう言う私も、つい最近までそのように考えていたのでした。
実は、これは100%順法運転なのです!(道路交通法上、全く、問題ありません!) 事の詳細は、どうぞ川上氏にお聞きになられて下さいませ。
川上氏は、警察のイベント以外にも、各種のパレードに参加されておれらますが、20数年、続けて来られていたのが”堺まつり”でのサイドカーパレードでした。
2000.10.15 の画像ですが(サイトより貴重なお写真を拝借させて頂きます、有難うございました)
堺まつり・・・・ ご近所の婦人連の盆踊り、岸和田のだんじり祭り、南蛮衣装でのパレード、鉄砲隊・・・と何でもあれの、とってもエネルギッシュなお祭りでした。
私は1度だけ参加させて頂いたのですが・・・・その時に印象的だったのは、30台余りのサイドカーが隊列を組んで、堺市の中心街をパレードする爽快感と、滅多にこれ程の数のサイドカーを目にすることの無い、沿道の方々の驚きの表情でした。
私も、それまではJSCのミーティングに参加することも無くて、初めての光景に、走りながら”あちこち、キョロキョロ”しておりました!
堺まつりでのサイドカーパレードのその後ですが(ご存知の方も多いかと存じますが)まつりのイベントの企画が、これまでの堺市からイベント会社に委託されるようになりました。 そしてイベントの趣旨がエコロジーをメインテーマに掲げるようになってからは、誠に残念では有りますが、パレードへの参加は自粛をされているそうです。
ですが、川上氏のことですので、堺市のが無くなったぶん、きっと近隣の町でのパレードに更に気合を入れられていらっしゃるのでは?・・・と。
また、楽しいお話を伺いたいものだと思っております!
・・・・・と申しましても、いつもの”お優しい川上さん”なのですが。 ご本業の歯科技工士さんとして、これまで歯科に関して、いろいろなお話しをお聞かせ下さいました。
歯科技工士の資格を取られて、義歯製作の技術を磨かれながら”何とかして、短時間に大量に義歯を作ることは出来ないものか?・・・”と考えられ、オリジナルの製作器械を考案されました。今も川上氏のお宅には、その器械(勿論、現役です!)と特許許可証が置かれております。
現在の所に居を構えられてからは、川上氏は義歯製作の過程において”いかに患者さんにfitした義歯を、より効率よく作るか!・・・”を考えつつ、常に工夫・改良を加えられているそうです。
それと同時に、体にハンディーキャップを持たれた若い方々に歯科技工士の資格を取得してもらおうと、教育活動にも情熱を注がれて現在も続けておられます。
サイドカーのセットアップ、ドレスアップ等を拝見致しておりましても、オートバイの世界からは遥かに逸脱したモノを、何気なしに利用されている川上氏の応用力の豊かさには、驚きの連続でした。
ですが義歯製作の作業場を拝見致しますと、更に驚きの連続なのでした!
歯って、皆さん、似たり寄ったりなモノなのだろうなあ、と漠然と考えておりましたが・・・・・大きさ、形、色、それぞれの歯の並び方。10人10色なのですね!!
義歯の製作って、大変に緻密な作業の連続なのですね!
そして義歯の型取りをされた状況(誰が、どのような体勢で行ったのか?←実は、これがとても重要なポイントだそうです!!)を判断しつつ、更に義歯を入れられる患者さんの性別、年齢等も加味した上で、元々の型にモディファイを加えられるのだそうです。
型通りのままに義歯を作っても、ダメなのだそうです!・・・・・えええ、そうなんだああ!!
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現在は歯科の先生と歯科技工士さんとで、仕事は完全に分業化されているそうですが・・・・・今からウン十年前までは、そのあたりがボーダレスな時代だったそうです。 技工士さんも先生をお助けする形で、治療にも参加されていたそうです。
ですので川上氏と同年代の技工士の方々は、実際の治療経験もお有りだそうですが、その経験が義歯製作に大いに生かされているのでしょうね。
川上氏の歯科医院でのお話しは、リアルでそして裏話もふんだんに込められていて、知らず知らずのうちに、お話しに引き込まれてしまうのでした!
ところで、今や医療崩壊が声高に叫ばれておりますが、今、急に始まったことでは有りません。
歯科の分野でも、治療技術は日進月歩で進化しているのでしょうが、毎日の診療に於きましては”進歩とは矛盾する現実”を無視する訳にはいかないそうです。
患者さんにとって、若干の不利益を被る場面に往々にして遭遇するそうですが、同時に”経営を無視出来ない”歯科の先生方の苦悩も目にしてしまうそうです。
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義歯に関して、新しい流れが有るそうですが、それに対していろいろご批評をされておられました。
(07年11月23日のブログの記事を再度upさせて頂きます)
私のwebsiteの方には川上氏の事を書かせて頂いておりますが・・・
ご本業はバイク屋さんでは無くて、歯科技工士さんです。でも、時にはどっちがご本業なのか?・・・なことも
幸い、現在のところは私は義歯は使ってはおりませんが、いずれお世話になるでしょう・・・
川上氏宅を訪問した時には、義歯の作業場も拝見させて頂くのですが、細かなパーツや道具が所狭しと置かれているのでした。
敏感な口の中に入れるモノですので、微妙な調整でピッタリとフィットしたり違和感でイッパイになったりするのでしょう。
川上氏がお若かった頃に、義歯製作の為の特許を取得されたそうですが、その時に作った器械も置かれていました。
私は義歯については門外漢ですので、製作時の苦労の程を実感出来ないのですが、川上氏のお話しを伺ううちに、技術力は勿論、美的感性(残念ながら、私はこのどちらも皆無なのでした!)も必要なんだなあ・・・と思いました。
ちょっと義歯について基本を・・・・・・
それで、今回お邪魔した時に、川上氏は義歯メーカーのパンフレットをお見せ下さいました。
(同じ製品の画像をサイトより拝借致します)
この製品のセールスポイントは、義歯の金属床の上にシリコンを被せて、よりフィット感をupすることが出来る!・・・・なんだなあ〜と解釈したのでした。
それに対して、川上氏は”こんなの駄目!”とバッサリ!!
理由はいろいろ有ったのですが(私が理解出来なくて・・・・)一番のデメリットは義歯特有の臭い対策が出来ないからだそうです。
過日、この製品の講演会が有ったそうですが、上記の件について川上氏が質問をされたそうです。 そしてフロアーからも”同感・・・”との声が。 ですが演者の方より満足出来る返答は無かったそうです。
・・・・ お手軽に(費用の面等々も考慮して)より使い易い義歯を!という面でのみ、この製品が開発されたのかな?
川上氏、曰く”いろいろ工夫しているのですよ・・・”と笑顔でお話しされていました。
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今回は、インプラントの功罪について伺うことが出来ました。
お恥かしながら、私は”インプラントの意味”を存じませんでした。川上氏がお話しをされるうちに、ようやくイメージが湧いて来たのでした。
(歯科サイトより、解説をお借りいたします)
それぞれの治療法の特徴は以下の通りです。
ちょっと前置きが長くなり過ぎてしまいましたが・・・・現時、インプラントが流行っているそうですね。
歯科のサイトには殆ど、インプラントのメリットのみが強調されておりました。(まあ、それは当然でしょうね!)・・・・
川上氏が言われるには、失敗例(手術が失敗したのでは無くて、数ヶ月or数年後経てからの)を数多く見て来られたそうです。
炎症を起こしてしまい、次第、次第とインプラントの棒が長くなって来る(インプラントがむき出しになって行く)そうです。
一番の合併症はインプラントの周囲に炎症を発症させてしまう、インプラント周囲炎だそうです。
歯科関連のサイトよりインプラントの合併症の発症率を捜してみましたが、数%程度でした。←でも、データーの取り方次第では、如何様にでも結論を誘導出来そうな感じ・・・・
定期的なメンテナンスを怠った、患者さんの責任に帰するような書き方をしたサイトが多かったですが・・・・
技術的に、既に完成されたものなのか、私には判らなかったのですが、実際のところはどうなのでしょうかね?・・・・
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実は、川上氏は義歯を利用されておられます。(勿論、インプラントでは有りませんが・・・・)
体調と相関して、毎日、微妙に義歯のfit感が変わって来るそうです。 義歯の無い私には、想像することが出来ませんでした・・・・
ですが、体調が不良な時は顔が腫れぼったくなったりしますものね! 当然、顔の表面だけでは無くて、体全体が微妙に腫れ上がっているのでしょう! 口腔内も、勿論・・・・・そうなるのでしょう。
川上氏はご自身で義歯の調節が出来ますが、ほぼ1か月に1度はなさるそうです。でも一般の方は、そういう訳には参りませんですよね。
義歯を利用されていらっしゃる大部分の方々は”まあ(義歯って)そんなモノだから仕方が無い。義歯の方に自分の体を合わせるしか方法がない・・・”と諦めておられるのでしょうか?・・・・・
実際の歯科医院の現状を伺って参りましたが、いろいろな問題が山積していてベストの状態からは程遠いみたいですね。
川上氏のように、患者さんの立場を十二分に配慮されつつ、最高の義歯を製作される技工士の方々が益々増えますように・・・・・と、感じたのでした。
私のサイドカー履歴の所で書かせて頂きましたが、川上氏に初めてお会いしたのは22年前になります。
私が側溝にサイドカーを落とし込み修理に困っている時に、二つ返事で即、大阪から来て頂いた時でした。
早朝でまだ外は薄暗い頃、東予市に有る、オレンジフェリーの桟橋で川上氏と初めてお会いしました。 途中の喫茶店でいろいろお話しをさせて頂きましたが、川上氏も私も四国の出身ということで(バイク以外でも)いろいろ話が盛り上がったのでした。
川上氏のご本業がバイク屋さんでは無い事を伺ったことが一番の驚きでした!
その後、新居浜市内の私の官舎にご案内致しまして、早速、壊れた私のサイドカーの修理に取り掛かられました。川上氏は慣れた手つきで修理道具を準備して行かれたのを拝見して、またまたびっくり! 私がした事と言えば、電源コードの準備をした位だったでしょうか・・・
結局、メーターの表示だけはその場では治らなくて、(メーター部分のコンピューターの交換を要した為に)また後日に・・・・ということになりました。
それから川上氏とお話しをさせて頂きましたが、サイドカーに対する情熱と、ご自身を飾ること無しに淡々と人生観を語られるお姿に共感を致しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・あの当時の事が、つい先日の出来事のように思えて来るのでした・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時のサイドカーを取り巻く環境は、決して良くは無かったですね・・・
GoldWingに関しては、当のホンダさんからは(当局からの指導も有ったのでしょうが)全く相手にされませんでした。
”並行輸入業者さんが(勝手に)輸入したモノだから、そちらの方で対処して下さい”・・・と言ったスタンスでしたね。まあ現在は、迅速に対応して頂けるようになったのは喜ばしい限りです!
サイドカー車検に関しては、ハーレー、BMWに関しては門戸が開かれておりましたが、国産車に対しては問答無用で切り捨てられていたそうです。
ですが、国産車にもサイドカー車検を! と、突破口を開いたのは皇宮警察がGL+EMLのサイドカーを導入された事だったそうで、それを足掛かりにして何とかサイドカー車検も取得出来るようになったそうです。まあこのあたりの経緯も川上氏より詳しく伺うことが出来ました。
継続車検に関しても、厳しさは同様でして(当然ですが)地方の車検場でパスするのは不可能でした。よって2年毎に、川上さんの所へ持って行きまして大阪府内の車検場で受けるしか方法がなかったのでした。
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新居浜には3年間住んでおりましたが、初めてのサイドカーに手こずりながらも少しずつ走れるようになりました。
少し余裕が出来た頃より、自己流でドレスアップ(完全に自己満足な世界なのでしたが)をしてみたくなりました。 DIYの店に頻繁に出入りするようになり、何か応用出来るモノはないかな?・・と捜す習慣が付きました。
ドレスアップ用のライトも付け足し、付け足しを繰り返して行きまして(その頃、リレーという部品の存在を知りませんで)タコ足配線になってしまい、ショートしてコードが黒焦げになった事も有りましたが、まま楽しむことが出来ました。
バイクの普段のメンテナンスは西条市内の花山モータースさんところでお願いしてました。 私は高校卒業まで西条市に住んでおりまして、小学校への通学路の途中に花山さんのお店が有ったのでした。 お店に置いていた私のサイドカーをご覧になられたお方が、私方に連絡を下さりそれがご縁で数人のサイドカーリストの方々とツーリングさせて頂く機会に恵まれました。
(つい最近のことですが、JSCの住所録の中に、その頃にご一緒させて頂いた方々のお名前を拝見することが出来まして、懐かしく当時の事を思い出してました。)
やはり皆さんと一緒に走ると楽しいですし、サイドカー談義に花を咲かせることも出来ますね!
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その後、私は倉敷、徳島(半田町)、高知(土佐市)・・・と転々と致しました。
残念ながら、他の方々とご一緒する機会は無かったのですが、2年に1度の継続車検の更新時期が近付くと、大阪の川上氏の所まで走りに行けるのが唯一の楽しみでした。
2台目のサイドカーは、GL1500+EMLです。
高知港のフェリーターミナルで待っていましたが、ピカピカのサイドカーに乗られた川上氏の姿を見た時は、ドキドキでした。
高知では、以前からサイドカー活動は盛んでして、土佐市のとある旅館でサイドカーミーティングも開かれました。 残念ながら、高知のサイドカーリストの方々とご一緒する機会は無かったのですが(当時、高速道路が開通しまして)ストレス発散で、瀬戸大橋を通っ、岡山まで走りに行っていました。
川上氏は、その後、四国一周される時に高知にもお寄り頂きましたが、オリジナルのドレスアップを施された愛車・・・・一応、私が乗っていたのと同じモデルでは有ったのですが、まるっきり別のモデルのようでした。
ご自身でデザインされたパーツを、業者さん(板金屋さんや溶接屋さん)に注文されて、それを飾り付ける! また普段から、何か気に入られたモノが目に付けば、その部品の型を取ってそれに金属を流し込んで、これまたオリジナルの部品を作り上げる・・・と、川上氏流のドレスアップ手法を確立されたような気が致しました。
・・・・ちなみに川上氏は、本業は歯の技工士さんですので、そのあたりの作業はお手のモノだったのでした!!
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その後、私は愛媛(今治市)に転居して、更に今から10数年前に広島へ移り住んだのでした。
この間、2年に1度の大阪までのツーリング以外は、地元で走るだけでした。相変わらず、自分1人だけで走るもので、ちょっと寂しさを感じていたのかもしれません。
職場を変わるのが転機となり、サイドカーも卒業する事に決めたのでした・・・・・・
でも・・・・悪い病気は、ひょんな事をきっかけに、再発してしまったのです!!
2年前に出戻りライダーで、GL1800に乗り始めたのでしたが、やはりサイドカーへの思いは捨て去ることが出来ませんでした。
しばらくぶりに川上氏のところへTELを致しましたが、相変わらず、お元気、いえ、前よりもモットモットお元気!
で、事の次第をお話ししましたら”ちょうど良いモデルの在庫がある!”とのことでした。
話はトントン拍子で進みまして、再度、サイドカーに乗ることが叶ったのでした。
数年ぶりに川上氏宅に参りましたが、以前と全く同じの佇まいでした。
広島からですと新幹線を使えば2時間で、サイドカーで走れば4時間程度で川上氏宅へ行くことが出来ます。広島に越して来た頃は、まだ山陽自動車道が全通しておりませんでしたが、最近は益々便利になりました。
ちょっと川上氏宅のご紹介を・・・・
JR堺市駅から歩いて数分位かかるでしょうか、地元商店街の近くです。
1Fは以前はカラオケ喫茶をされていましたが(左側の一部分はサイドカーの作業場に)、今は全フロアーがサイドカーの作業場になっております。
ここからが、普通のお宅では無いのです!
向かって右側のアングルで組んだモノは、以前にお店の看板として飾っていたハーレー(本物!)を支えていたのでした。 その後熱心なマニアの方がレストアー用にと頼み込まれて、ハーレーは降ろされたそうで、その後は手造りの看板が・・・・
そして左側の大きな物体ですが、川上氏お手製のエレベーターが取り付けられているのです!頑丈なアングル4本は建物の屋上にまで伸びていて、エレベーター部分を支えているのでした。
以前は2Fで義歯のお仕事をされていたのですが、サイドカーの作業が増えるにつれて1Fでは手狭となり2Fででも作業を始めるようになったそうですが・・・・重量が5,600kg有るサイドカーを2Fに運び上げる方法を考えられて、このような結果となったのこと。
ちなみにエレベータで2Fに運び上げたサイドカーが屋内に入れるように二階部分の側壁をぶち抜いて、専用の窓サッシを入れられたそうですが・・・・う〜ん、サイドカーへの情熱は半端ではない!!
エレベーターの最上部には電動のウィンチが取り付けられており、2本の鎖でエレベーター本体を上げ下げする構造になっております。 溶接部分で特に重量のかかる部分はプロの方にお願いされたそうですが、他は全て川上氏、お1人で作業をなさったそうです!
今はサイドカーの作業が全て1Fでされるようになり、エレベーターにサイドカーを乗せることは無くなったのでしょう。 ですが、サイドカーの部品などは階上の倉庫に保管されているので、エレベーターは無くてはならないモノだそうです。
(画質が悪くて申し訳ございません)
川上氏の愛車。 ハーレーのサイドトライク!!(国内に唯1台のみ・・・)
作業中の川上氏・・・・
ちなみにカー側のシート後部の凸部分は、義歯作成用の材料を駆使されて成型されたとか。
こちらは川上氏の奥様が乗られているGLサイドトライクです。こちらも、唯1台のみのモデル!
納車直前のハニガン・サイドトライクです。 ハニガン社は似たような型で、サイドカーも作っておりますが各モデル共に、国内に輸入される台数は極僅か! 最近はトライクの製造がメインになっているそうです。
こちらも納車前のハニガン・サイドトライクです。お色はチタンで、バイクの方は最上級グレードのナビ付きモデル。
ちなみにナビ付きモデル・・・・ホンダ社でも、ナビの関係でこのモデルは輸入されておらず、輸入業者の方から僅かに入って来ているそうです。
またGLにビルトインされているナビはGarmin社製で、日本仕様のメモリーカードだけでは使えないそうです。(Garminの国内代理店に問い合わせ致しました) たぶんナビ本体内のROMも書き換える必要が有るのでは、と想像しております。
偶然にも、短期間の間に2台のハニガン・サイドトライクを拝見させて頂くことが叶いました。
今度は、実際に走っておられる姿を、どこかで拝見したいものです!
ついでに私のサイドカーの写真も・・・・・・
後ろに、憧れのハニガンのトレーラーが・・・・残念ながら、単に後ろに置いてあるだけで、牽引している訳ではありません。
川上氏は私よりも1回り半程、人生の先輩ですが、サイドカーでも大先輩です。
お元気いっぱいの川上氏のパワーを頂くことが出来て、私も益々サイドカーの世界にのめり込もうと考えております・・・
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10.01 写真の追加を致します。
パソコン内の画像を見ておりましたら、昨年(H18年)の10月に川上氏のところに遊びに参りました時のぶんが有りましたので・・・・
ハニガン・サイドトライクがモデルチェンジした直後のモノです。(国内上陸の第一号だったかと)
こちらが、旧モデルです。
後部のスタイルが、それまでの直線基調から、このようにGL1800の曲線を生かしたデザインに変更されました。
下に置かれているのは、ステンレス製の一本モノのオリジナルバンパーです。
このバンパーが装着されますと、先にupした画像のようなスタイルに変身するのでした!
・・・・この時はGL1500用のアタッチメントが附属したモデルでして、川上氏はえらく難儀されていました。